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さわやか吃音(どもり)カウンセリング トップページへ |
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(1)吃音に至る過程 ■もともと話をすることは難しいことではありません。 赤ちゃんが声を出して泣き、初めてのことばを出す。だんだんとことば数が増えてくる・・・自然な成長過程です。幼児は耳で聞いたことばをそのまま自分の口に出します。身体上の特別な欠陥がない限り、またインドで狼に育てられた少女アマラとカマラのような特別な環境でない限り、誰でもことばを覚えて話をします。そもそも話すという行為は、歩いたり走ったりするのと同じ様に、発語に至るまでの過程を意識するわけでもなく、ある考えやイメージが頭に浮かぶとそれを言語化してそのまま発声するものです。幼児期は自分の憶えたことばを何の気兼ねもなくそのまま発していける環境なので、「うまうま」「ワンワン」など、何でもことばに出してOKですし、お母さんも周りの人たちも皆かわいいと喜んでくれます。声を出して話をすることは本来とても心地よいことなのです。 ■年齢とともに周囲から話し方への要求が加わってきます。 しかし、幼児から小学生低学年と年齢が増すにつれて、話すことへの社会的要求が課せられてきます。「こんな言い方じゃダメだよ」「もっとはっきり話しなさい」とか、その場にそぐわない表現であれば注意を受けたりなど、さまざまな制約がでてきます。コミュニケーションの手段としての「読む、書く、話す」を少しずつ習う中、話すことにはさまざまな目に見えない「かせ」につながれている気持になり、神経を多く払わなければいけないと感じるのもこの頃です。 ■この辺りから吃音意識の生じる環境が浮上してきます。 「読む、書く、話す」の中で、話すことの特殊性があります。それは、 (1)話をすると、相手の反応が直接伝わってきます。 ボソボソ言えば、直ぐ聞き返されます。相手の反応により、自分のことばが相手に受け入れられているか、そうでないかの違いがわかります。 (2)話すことはタイミングをとらえなければなりません。 「あのー」と相手に呼びかけて次のことばを出すまで5秒かかったら、間が抜けて相手は変に思うでしょう。5秒という短い時間の経過で相手の気持が変ってしまうのです。時は瞬時たりとも止まってくれませんから、続けてことばを出さなければならないのです。話をすることは即時性を要求されますので、限られた時間の制限のもとでことばを出さなければならないというプレッシャーがかかります。書く場合は、多少遅くても話す時のようなプレッシャーは感じないはずです。 このように発語そのものは誰でも問題なくできるのですが、話をすることには相手の反応に気をつけることと、タイミングをつかむことの技術を要することになります。男性と女性の吃音の割合をみると男性の方が多い理由の一つに、男子の方が女子に較べて言語発達が遅いため、このあたりの気後れ経験が吃音になる引き金になっていることが言えるのではないでしょうか。 ■吃音の固定化 相手の好意的な反応を得ようとすること、そして話のタイミングをとらえるという条件の元で、話すことの意識が増し、自分と外の世界との橋渡しの役割を担う話をすることへの不安が増してきます。話し方で笑われたとか、訂正されたとか、個人の性格やストレスの度合いにもよりますが、本人にとって失敗経験と受け止めることがありますと精神的打撃を受けます。そして、心の中で二つの相容れない力が生じてきます。ひとつは「話さなければならない」という強い思い(意志)であり、もうひとつは「話せないのではないか、怖い」という感情です。この二つが同時に働いている状態、すなわち、アクセルとブレーキが同時に力いっぱい踏み込まれている状態が吃音であるといえます。例えば歩く動作の場合、本来は両足の動きと両手の動きは反対ですが、妙に意識をすると足と手が同じ動きをして不自然になってしまいます。このような動きとも似ています。 健常者にとってはなんでもない、むしろくつろげる場であっても吃音者にとっては安心していられない場所となります。子供達がワイワイ騒ぎながら子ブタを追いかけている場面を想像してください。多くの人はブタが逃げ回るユーモラスな格好と子供の走る姿で笑いに誘われるでしょうが、吃音者は必死で逃げるブタの立場に立たせれられているように感じることが多いのです。吃音が固定化すると、周りの人々との心情のズレを感じることがでてきます。 ■吃音者の発語予期不安 人前でスピーチをすることを例にしましょう。吃音者も健常者もスピーチをするとなると緊張しますが、どこに緊張するかは異なります。健常者は聞き手が好意的に受け止めてくれるかどうかとか、声が震えないかどうかですが、吃音者は特定の単語が言えないのではないかとの予期不安に悩まされます。同じ緊張でも内容が異なります。 朗読をするにしても、事前によく練習をすればいいと健常者は考えますが、練習すればする程特定のことばの苦手意識が増幅される場合が多く、結果として練習そのものが逆効果になってしまうことがあります。練習中にマイナスの自己暗示をかけてしまうからです。これは一種のクセのようなもので、一つのことばへのこだわりが消えても、次にそれに代わることばを意識しだします。吃音者の心の動きは妙なもので、「言えそうだ」と思うと、その場で言えることが多いのです。反対に「これはダメだ」と思ってその場に臨むと、制御不能の世界に入ってしまいます。この事からして、吃音者自らがこれから起こるシナリオを作っているとも言えましょう。 ■吃音者の体の条件反応 健常者が話をする時は左脳のみが働くのに対し、吃音者が吃音状態で話をしている時は、左脳の他に右脳、小脳も活発に活動していると報告されていますが、これは「どうにかして話さなければならない」という意志と、「ことばが出ないのではないか」という怖れの感情との強い葛藤状態に置かれていることを示しているのではないかと思います。この時の体の反応は、肩、舌、あご、咽喉などに力が入り、肺の下にある横隔膜も硬直して呼吸が浅くなるなどの動きが出てきます。これは自律神経失調のようなもので、緊張の場に直面している時は、本人の意志でコントロールできるものではありません。吃音者は過去の失敗経験に起因するマイナスの自己暗示と、横隔膜をはじめ、器官の硬直という制御不能の身体反応にがっちり固めれられ、身動きがとれない状態にあると言えましょう。 (2)吃音改善に向けての方向性 吃音から完全に脱却した方々の体験を聞きますと、その過程は一様ではありません。「吃音の治療方法はない」といわれるのは当然だと思います。正確にいえば「吃音の画一的な治療方法は今のところまとめられてない」ということでしょうか。当然ながら個人の改善体験を他の人にそのまま当てはめようとすることは無理が生じます。 一方、改善への共通した方向性として、心の傷からくるマイナスの自己暗示にとらわれてしまう傾向からプラスの自己暗示ができるようにもっていくことと、体の条件反射を弱めていくことが挙げられます。心のケアーと身体反応のケアーという両輪の輪が回っていくことにより、吃音改善がトータルに進むと解釈できます。 (1)心のケアーで扱う内容として、 ・吃音体験のトラウマ(心の傷) ・幼児体験 ・話すことの不安、恐怖 ・対人関係 ・家族関係・セルフ・イメージ ・吃音者であることの受け止め方 ・人生観 ・気質、性格、その他。 このような事柄の心の整理をしていく過程で、今の自分、置かれた環境を肯定的に受け止めていくプラス思考が養われていく必要があります。プラス思考はそのまま具体的なイメージトレーニングに結びつきます。 イメージトレーニングは日常のさまざまな場で活用できます。司会のリハーサルの時に全神経を集中してあたかも本番そのものの気持でやりますと、本番で会衆を前にして話す時、気後れする度合いが少なくなります。リハーサルの時に良いイメージを脳裏に植え付けているからです。また以前、自分が堂々と人前で話をしている夢をみて、目が覚めた時「うまくいった!」と喜んだことがありましたが、こんな夢を毎晩みていたら随分吃音の囚われ意識から解放されただろうと思います。心に描くイメージは現実に影響するものです。 (2)身体反応のケアー 具体的には、身体のマイナス反応を弱めていくことです。楽な発語のために腹式呼吸とか声帯を締め付けない正しい姿勢とかを無意識にできるまで習慣化するわけですが、これらが出来ているからといって吃音が解消するというわけではありません。あくまで体の不要な緊張をほぐしていく助けとしてです。朗読練習、リズム・抑揚練習、口の動かし方、少しリズミカルに体を動かすことなどもすべて体の緊張をほぐす効果につながっていきます。力まなくても自然に話せるということを体感していくことです。 そもそも心と体は別個のものではなく、深くつながり影響しあっています。心のケアーで柔軟性を育み、身体反応のケアーでリラックス感覚を養いつつ日常生活の中に活かしていけば、話をすることのプラス体験の数を多く持つことにつながるでしょう。吃音改善の方向はこの線上にあると思います。 |
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