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吃音(どもり)心理あれこれ
ここでは私の個人体験を織り交ぜての吃音(どもり)心理を記したいと思います。
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C O N T E N T S
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あれこれ1
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なぜ歌を歌う時はどもらないのか。
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あれこれ2
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ひとり言を言う時や、複数で朗読する時はなぜどもらないことが多いのか。
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あれこれ3
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一度「良くなった」と思われた後の再発原因と防止。
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あれこれ4
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随伴行動とジェスチャー。
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あれこれ5
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なぜゆっくり話すことはむずかしいのか。
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あれこれ6
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日本語より英語(外国語)の方が読みやすい、あるいは全くどもらないという方がおられる理由。
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あれこれ7
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発語予期不安をどのように弱めていくか。
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あれこれ8
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話す調子のいい時と悪い時がある背景。
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あれこれ9
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夢と吃音(どもり)
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あれこれ10
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朗読の時と会話の時の気持の違い。
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あれこれ11
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ことばが短ければ短いほど、発語不安が増すものです。
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あれこれ12
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吃音(どもり)改善は体質改善と同じ事。
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あれこれ13
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たかが電話、されど電話・・・・。
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あれこれ14
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人前でのスピーチはできるのに、司会で講師の略歴紹介など、あらかじめ定められた内容を伝えたりするのは難しいと感じる訳。
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あれこれ15
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一人だけで話す時(ひとり言)でも特定の音がつかえて言えないという人もおられます。
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| あれこれ16 |
吃音(どもり)の囚われ意識から抜け出しにくい理由。 |
| あれこれ17 |
発語不安があっても話し上手になれるものです。 |
| あれこれ18 |
意識する音をはっきり言おうとすることは、ますます硬い発語にしてしまいます。 |
| あれこれ19 |
安定した話し方習慣の極意。 |
| あれこれ20 |
「完全主義」「自己評価主義」はゴミ箱に捨てましょう。 |
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あれこれ(1)
なぜ歌を歌う時はどもらないのか。
よく耳にする質問ですが、歌っている時にことばがつかえて歌えなくなってしまったということは聞いたことがありません。私もかつてよく「歌が歌えるのだから、話をするときも歌うように話せば・・・」と勧められたものです。なぜ歌を歌う時はどもらないのか?私なりに頭に浮かぶ理由は、
(1)歌は息の切れ目がない。
「春のうららの隅田川、・・・」と詩を読むのと、「はぁるぅのぉーうらぁらぁのぉーすぅみぃだぁがぁわぁー、・・・」と歌う場合の違いの一つは、歌は息の切れ目がありません。自動的にそのまま発声するのみです。またスタッカート(短く区切る)を入れたとしても、テンポを意識していますので息の出し方は一定に保たれます。
(2)歌はテンポの枠組みがある。
実際に歌えばお分かりの通り、「隅田川」の前で息を入れますが、「す」の発語不安が起こる余地がありません。それはテンポ(拍子)の中で息を入れ「す」の発語に備えるので、吃音者特有の発語直前に不自然に息を吸ってしまう動作が生じることなく、呼吸が乱れないからです。吃音者にとって話す場合は、音(おん)はバラバラの単体感覚ですが、歌では音ひとつひとつがバラバラではなく、音というじゅず玉が糸でつながっている状態です。
この2つが大きな理由ですが、その他に、
(3)話す場合は相手への伝達が目的であるのに、歌は伝達が目的という訳ではない。そのため、聞き手にことばの意味が伝わっているかどうか気にすることがなく、気持が楽である。
(4)歌を歌ってどもったという過去の記憶が全くないので、予期不安の緊張がない。
などが挙げられると思います。
私が中学生の時、歌のテストがあってクラス全員の前でひとりづつ歌わなければならない時がありました。当時朗読が全くできませんでしたので、「クラスの前では歌は歌えない。きっとどもる。」と決め込んでいました。しかし順番が回ってきたらそのまま歌えたので、自分でも不思議に思ったものです。
話と歌の中間に、浪花節、お経、ラップミュージックなどが位置付けられるのではないでしょうか。ラップミュージックは音階を入れたり入れなかったりまちまちですが、、一定のテンポの中に言葉をどんどん入れて早口に語ります。ラップでどもることは歌と同様あり得ないと思います。テンポの枠内での息の流れからしてどもるスキがないのです。ご存知のように、このリズム感覚は英会話の演習に取り入れられていますし、息の切れ目を作らないことから、いい練習材料ともいえます。このあたりの発語意識をうまく日常会話での実践に結びつけていくことは大きな助けになると言えましょう。
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あれこれ(2)
ひとり言を言う時や、複数で朗読する時はなぜともらないことが多いのか。
これも私が学校で朗読できなかった時、先生が「みんなで読もう」とクラスの生徒に呼びかけました。先生は私の横に立って私の朗読を聞き、「江田、読めるじゃないか。何で一人じゃ読めないんだ?」と私に尋ねましたが、皆と読んでいる限り、全くスラスラでした。その理由は、
(1)一人で読む場合は、他の生徒が私の読み方を「聞いている」のであって、ことばがつかえたら大変だとの不安を持ってしまう。その不安意識が過去の失敗記憶を呼び戻し、身体が硬直し発語が止まってしまう。
(2)複数で読む場合は、たとえひっかかったとしても他者は気がつかないし、朗読のペースは自分の引っかかりと関係なく自動的に進んでくれる。⇒ 緊張がほぐれ安心感がでる ⇒ 結果として、どもらない。
吃音にすすませる要因は他者の反応です。他者の反応に読み手(話し手)は影響され、怖れが生じます。仮にもし話し方に関して100%受容の世界に生れ生きているとするならば(実際にはあり得ない話ですが)、吃音を持つ人はゼロでしょう。どんなにゆっくり話しても、どんなアクセントで話しても、どんな間延びした話し方でも、どんな幼稚でその場にふさわしくない話し方でも、他者がなんとも思わない世界に住んでいたら、吃音になりたくても誰もなれない筈です。
独り言でもどもる場合は、どもる身体的発声習慣がそのまま身についてしまっている(舌,喉などの力みと特定の音の発音の発語神経回路が出来上がってしまっている)か、過去の吃音場面が呼び戻されて条件反射をおこしているのではないでしょうか。
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あれこれ(3)
一度「良くなった」と思われた後の再発原因と防止。
吃音改善の最終段階では、日常生活で殆ど吃音がなく、たとえことばがひっかかったとしても自分でコントロール出来、また発語予期不安があっても自分の納得している方法でほぼ安定して話すことができるといった状態です。この段階から、更に人前での発表・スピーチや電話連絡などの様々な場を踏んで自信をつけていく訳ですが、この時期は配慮が必要とされます。
再発の引き金となる理由を挙げますと、
(1)環境の変化によるストレス
学校が変ること、会社での人事異動、仕事量の増大、家庭問題など、ストレスがたまってくると発語にも影響が出るようです。適度のストレスのある忙しさのもとで、気がついたら吃音にとらわれなくなっていたというような良い方向に向かっていけば良いのですが、過度のストレスは避けたいものです。ストレスを軽くするための工夫として、水泳、ジョギングなどの習慣的にできる運動、バランスのとれた食事(栄養)、そして十分な睡眠などが挙げられます。
(2)心がけの違い
心がけは大きな影響を出すようです。
■話し方に無頓着になってしまう場合:
日常話をすることに殆ど不自由を感じないので、特に話し方に注意することなく、具体的な練習もしない。ある程度自信をつけていくが、セルフ・コントロールしていく意識が薄くなり、いつの間にか古い習慣に戻ってしまい、逆戻りする。
■神経質になり不安を増大させてしまう場合:
完治への具体的方法を模索していくことは良いことなのですが、ある方法に命を託す思いをもって賭けていくので、うまくいかないことがあると「やっぱり治らないのだ」と思い、不安をつのらせ次の方法を探し求める。焦りと不安が前にもまして強くなってしまい、逆戻りする。
最終段階でとらわれ意識から脱却していく人
日常会話に差し障りはなく、吃音の意識は殆どないが、人前でのスピーチなどに備え、正しい呼吸、姿勢のチェック、イメージトレーニング、朗読練習などを日常習慣的に行っている人ではないでしょうか。
私の経験では、この最終段階は比較的長くかかりました。理由は発語予期不安が多少残っているものの、仕事や日常生活で殆ど不自由を感じなかったことと、周囲の人々も気が付かない程でしたので、改善意識を特にもたずそのままにしておいたからだったと思います。しかし大勢の人々を前にしての司会など、レベルの上がった必要に迫られましたので更なる改善のために、個人練習や正しい意識をもって話すことを心掛けるようにしました。その結果として完全に吃音のとらわれ意識から脱却しました。このような改善過程は日常の練習意識と実践体験をとおして月日をかけて進んでいくと思います。
このように環境と心掛け次第で吃音から脱却していくこともできますし、ある程度の話し方でいいと思えばそのレベルにとどまるのではないでしょうか。完治に至るか否かは誰も予知できない世界ですが、最終段階にあると思われる方は気を抜かさないで納得のいく自然な話し方を意識し続けることをぜひおすすめいたします。
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あれこれ(4)
随伴行動とジェスチャー
発語がブロックされた時、トンと足で床を蹴ったり、ギュッとこぶしを握ったり、手を振ったりする動作を随伴行動といいます。私も20代以降は自粛するようにしましたが、10代の頃はそうせざるを得ない心境でした。別に好きでやるわけではないのですが、ブロック状態を打破するために焦って瞬間的に行動に出てしまいます。これは無意識ではなく意図的に行うものです。その行動に移る瞬間に発語するスキがでる訳ですが、常習的になってしまうと無意識に行う部分が大きくなるので、ことばを出すという効果は薄らいできます。随伴行動に頼らないに越したことはありません。
しかし、体を動かさないようにするのが良いということではありません。人前で直立不動の姿勢で話をしようとすると、精神的にも負担がかかり、ことばも硬くなりがちです。欧米の方々の優れたスピーチを見ますと、皆さん効果的にジェスチャーを使っています。英語はアクセントが日本語より格段にはっきりしているので必然的に体を動かすということもあるのでしょうが、適切なジェスチャーは視覚からも多くを語りかけます。顔の表情、視線、姿勢、手の動き・・・・自然な体の動きはことばを滑らかにし、聞く人に好印象を与えます。体の動きを上手に使っていきたいものです。
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あれこれ(5)
なぜゆっくり話すことはむずかしいのか。
吃音者の中に早口で話される方がおられます。単語やフレーズのまとまりをパラッパラッと速く話すのですが、その割にはフレーズとフレーズの間隔があくので、聞き手にとっては聞きにくくなります。聴き取りにくい ⇒ 相手から聞きなおされる ⇒ もう一度早口で話す・・・ということで結局意志の疎通に時間がかかってしまうことがあります。
吃音者が早口になる理由は、発語不安があるので聞き手への意志の伝達を早く済ませたい、自分の話し方に相手が関心を持つ時間をできるだけ短くしたいとの意識から生じるのだと思います。ここに吃音者にとって、ゆっくり話すことの難しさがあるようです。
健常者と吃音者とでは早口の背後にある心理に大きな違いがあります。健常者の早口はいわゆる「立て板に水」のように、フレーズとフレーズの間があきません。自分の考えを思いつくままに言語化します。一方、吃音者の早口は、先ず話す前に何を言おうかとして予め言葉を蓄える意識が働き、そしてそれを一気に出そうとします。
考えることに集中しながら話すということは吃音者にとって馴染みの薄い世界ではないでしょうか。政治家の話し方を例にしますと、小泉首相の話し方はテンポが速く歯切れがいいですね。その正反対ともいえるのは、故大平首相でしょう。ご記憶の方も多いと思いますが、会見では「あのー、ウー、その件につきましては・・・アー、エー」という調子でした。考え考え慎重にことばを選ぶのであのような話し方になったのでしょう。しかし、彼のとつとつとした話し方は、聞き手にマイナスイメージを与えたわけではなく、その中に誠実さを感じたのは私だけではなかったと思います。
もし吃音者が彼のような「考えをまとめながら話す」という世界に意識が移っていくなら、その方は吃音のとらわれから大幅に脱却していることになります。快いお話体験をどんどん重ねて自信をつけていくに従い、早口で話そうとする不安は薄らぎ、「考えをまとめながら話す」世界が広がっていくのではないでしょうか。
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あれこれ(6)
日本語より英語(外国語)の方が読みやすい、あるいは全くどもらないという方がおられる理由。
私が高校生の時、英語のリーダーの授業がありました。順番が回ってくると、まず英文を読み、次に和訳をするのですが、英文朗読は比較的気が楽で、実際英語については吃音が出にくかったものです。その理由は、
(1)英語は所詮外国語であるので、発語が遅れたり多少変な読み方をしてもおかしく思われない。
(2)気後れ体験が比較的薄く、マイナスの自己暗示がかかりにくい。
(3)その結果、英語に関しての発語予期不安が起こりにくい。
ということになります。英語(外国語)だとどもりにくい(又はどもらない)という理由はこのあたりにあると思います。
また和訳ですが、これも比較的気持が楽でした。理由は、
(1)和訳には考える時間が与えられていているので、発語に間があいてもおかしくない。
(2)ことばの言い替えができる。
(3)発語が無理なら、英語そのものの意味がわからないとして開き直ればいい。
という訳です。このように英語の授業では「抜け道」があるので緊張の中にもゆとりがありました。
反対に、国語の授業での朗読は恐怖そのものでした。他の人が同じ文章を目で追っているのですから、抜け道がない。ですから発語のテンションは大変高くなります。
このように吃音者にとって、その時々の事情により、発語の背後にある心理は大きく揺れ動くものです。
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あれこれ(7)
発語予期不安をどのように弱めていくか
「あのことば、ちゃんと言えるかな、止まってしまうのではないかな・・・」という事前によぎる不安を発語予期不安といいます。吃音の改善は、どもる回数を減らすということより、いかに発語予期不安を弱めていくかにあると思います。発語予期不安が強く出る場面は、自己紹介などで人前で自分の名前を言う時、電話で会社名を言う時、朝礼で「おはようございます」の挨拶、館内呼び出し放送など・・・社会生活で直面するさまざまなハードルがあります。
私が新入社員だった頃、予期不安が強く出る場面は、上司が会議をしている部屋に内線で用件を伝える時、社員のいる静まった事務所での電話などでした。
発語予期不安は、過去に起こった話すことに結びつく失敗体験が同じような場面で呼び戻される時に生じます。これは決して異常なことではありません。例えば、犬に噛まれた体験を持つ人が、犬が近づいてくるのを見ただけで、噛まれないとわかっていても身構えたり、川で溺れたことのある人が、水を見ただけで恐怖心が湧き出てくることと似ています。このように過去に起こった何らかの恐怖・不安体験は、それと似たような場面に直面するとフラッシュバックされるものです。
これらの不安・恐怖心をどのように弱めていくかというと、犬に噛まれた人は、おとなしい犬をなでたり、水恐怖症の場合は浅いプールで徐々に水に慣らしていきます。このようにして条件反射を弱め、再条件付けしていく療法を行動療法といいます。
発語予期不安をどのように再条件付けしていけばよいかということですが、私は次の4つの段階を意識しています。
(1)ひとり、あるいは親しい人の前で、ごく自然に会話、朗読ができること。
吃音者は自分にとって難しい場面を思い起こして悩みます。けれど、再条件付けの一歩は、難しい場面のことはわきに置いて、ひとり又は親しい人の前で充分に朗読練習などをすることです。ひとりでもどもる方はどなたか指導者が必要でしょう。「ひとりでは全然どもらないから自分だけでの練習は意味がない」と考える方もおられますが、アナウンサーは自分で「あいうえお」練習、早口練習などしますし、舞台役者は発声練習を心掛けているからあのような声量が出るわけです。同じ意味で基本練習をすることは意味があることです。練習をしなければならないというよりも、練習そのものを楽しむことをお勧めします。野球でいえば、バッティング練習の繰り返し、キャッチボールなどにあたります。試合そのものの動きに入る前の個人としての基本的な体の動きの練習に該当します。
(2)イメージトレーニング
イメージトレーニングとは@の基本練習を発語予期不安が出そうな場面を想像しながら行う練習です。過去の私でしたら、内線電話をする場面、事務所で他の人たちが私の声を聞いているところでの電話場面です。あたかもそこに自分がいるかのように想像しながら話す練習です。実際に発語練習をしなくても、緊張する場面で安定して話をしている自分をイメージしていくだけでも効果があります。lこのようなプラスのイメージトレーニングはマイナスの自己暗示を和らげることにつながります。
(3)模擬演習
模擬演習とは上記@Aの練習を実際に現場で試す演習です。現場報告(吃音カウンセリング&トレーニングの現場から)で22歳のO君の事例を書かせていただきましたが、彼の場合は次のような模擬演習をしました。
■通行人に「失礼します。市役所はどちらでしょうか?」などと道を尋ねる。
これは相手を呼び止め、ことばをかけるというタイミングをつかむ練習です。Oくんは長らく会話らしい会話をしていなかったので、「あーそうですか。ありがとうございます。」などの相づちの入れ方やうなずく動作など、自然な会話の流れを持っていく学習を多くしました。発語練習とは、ことばだけの事柄ではなく、体全体で自然な動きを学習することでもあります。
■NTT電話番号案内に問い合わせをする。
Oくんは受話器を手に取るのですが、今まで恐ろしくて電話したことがなかったのでなかなかボタンを押せませんでした。けれど受話器をもって話す自分の姿をイメージしてやっと「もしもし、おたずねしますが・・・」と切り出すことができるようになり、回数を重ねるとあとは楽にできるようになりました。
■10数人の人々の前で朗読をする。
5分間程度の朗読ですが、回を重ねるにつれ自分のペースを乱すことなく着実に朗読ができるようになりました。今まで自分にはできないと思っていたことが案外すんなりとできることは大きな発見でした。
■部屋のドアをノックして、中で仕事をしている人にアナウンスする。
「失礼します。10時30分より1階和室で朗読会を行いますのでお集まりください」という伝達練習です。全く別のことをしている人たちに自分に注意を向けさせ、用件を伝えるということはかなりの勇気を要します。これも体で体得して自信をつけていきました。
このような模擬演習は様々な形でできると思います。注意したいことは、あくまで無理のない階段を作ってあげて「できる体験」をすることであって、決して度胸だめしではないことです。無理をさせると深い挫折感を持つことになります。Oくんとはこのような模擬演習を約1年間重ねて「できるんだ」という自信につなげていきました。
(4)現場快体験(サクセス体験)を重ねる。
吃音は孤独な世界です。そして改善も自分だけの世界です。だから実際の現場で発語予期不安があるにもかかわらずうまく話せたという自分だけの世界を味わう喜びはひとしおです。思わずウフフと微笑んでしまいます。これを何度も繰り返すことにより、話せて当たり前という自信が生れ、再条件付けの道が更に確かなものになっていきます。
私の吃音改善の最終段階での発語予期不安について申し上げますと、発語予期不安がある中で、ほとんど引っかからないで話していた時期があり、その後、完全に発語予期不安が消滅しています。ですから、発語予期不安が生じてはいけないと考えるのは間違いで、発語予期不安があっても再条件付けで養われた制御力が勝っていれば良い訳です。そのまま続けていくと、結果として現在の私のように予期不安そのものが全くなくなってしまうということになります。
このように小さな階段を作りながら再条件付けを図っていくという行動療法の原則は、発語予期不安を弱めていく現実的な方法であると受けとめています。
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あれこれ(8)
話す調子のいい時と悪い時がある背景
比較的調子よく話せる時が続き、またある時はどもりがちになってしまうということがありますが、体調にサイクルがあるように、吃音にも何かサイクルがあるのかもしれません。その背景を考えてみますと・・・。
話す調子が乱される時:
■仕事に追われるような忙しい日々が続いている時。ついつい話し方が荒くなり、力みが入ってしまう。呼吸も乱れがちになります。
■家庭や職場で人間関係がこじれているような時。他人の反応に神経質になってしまう。そのため話し方にも影響が出てきます。
■接待サービスなどの対人関係が多くなる仕事をしている時。力量を超え続けると話すことのマイナス体験となってしまいます。
■話すこととは関係のない失敗をして自信をなくしている時や、職場の上司からのきつい要求、忠告などを受けている時。職場の雰囲気が張り詰めている時など。
■小学生でしたら、担任の先生が厳しい態度をとった時。
■体は充分に休息をとっているが神経が高ぶっている時。こんなときは神経質になって自分の話し方が気になってしまうものです。
■風邪などで鼻がつまったりしている時。呼吸に影響がでて話しにくくなることがあります。
反対に調子がいい時:
■適度な忙しさの中で自分の吃音を良い意味で忘れている時。このような時は変に内省的にならないものです。
■緊張体験の後など。人前でのスピーチや発表の後は緊張がほぐれ、体も心もリラックスするので発語が楽になるものです。
■家庭や職場で良い人間関係が与えられている時。変な気遣いがなく、心に余裕があります。
■最近自分で納得のいくお話し体験をしていたり、話すことに関係ないことで自信を持つ体験をしている時。このような心のゆとりが話し方に反映されるものです。
吃音の状態は、過度なストレス、人間関係からくる緊張・気遣い、体調の変化などさまざまな事柄で影響を受けると思います。外部の環境を自分で改善することは限度がありますので、いかに自分をうまくコントロールしていくかを意識していくことが、調子を崩さないカギのようです。
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あれこれ(9)
夢と吃音(どもり)
スイスの精神科医で、心理学者であったC.G.ユングは夢の分析を通して心の世界を深く探りましたが、確かに夢は心の動きを反映するものです。心配事があればその事が夢に出てきますし、吃音で悩んでいると、夢の中でもどもっている自分の姿が出てきます。
私もかつて吃音の夢をよく見ました。人前に立って冷や汗をかいて話している自分、たいていはひやひやしながらもなんとか「切り抜けた」という夢で、決して快いものではありません。
たまにたいそう余裕をもって話している夢も見ました。これはうまく話したいという願望の表れだと思います。こんないい夢を繰り返し見ていれば、現実に良い影響が出ると思うのですが・・・。
また同じ時期に、谷の向こう側に向かってつり橋を必死で渡る夢をよく見ました。これは人前で話したり朗読したりする際、「早く切り抜けたい」という不安感の反映だと思います。
改善がすすむにつれ、吃音の夢はあまり見なくなりました。見たとしても発語不安を覚えるものではなく、話の内容に注意している緊張感のある健全?な夢でした。今はと申しますと、話すことに関する夢の記憶は全くありません。吃音改善が進むにつれ、夢の中の自分の姿も変化してきます。まさに夢は自分の心のあり様の鏡といえます。
夢をうまく利用する方法として、就寝前に朗読練習テープを聞きながらのゆったりとしたリピート練習などをしますと、快い発語感覚が就寝中も残り、良い影響を与えるのではないかと思います。
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あれこれ(10)
朗読の時と会話の時の気持の違い
朗読も会話もことばを出すことには変りがありませんが、心理状況は異なるように思います。吃音改善の実際のステップとして、会話練習から入るよりも、朗読練習でしっかりと自信をつけていかれることが確実のようです。
理由として、朗読は一定の速さを保ちやすく、自分のペースが崩されにくいことにあります。他人が同じ文章を目で追っている場合とそうでない場合とで心理は異なりますが、概して朗読は会話に較べ安定感を保ちやすいと思います。そういう訳で朗読練習を通して安定した呼吸、リラックスした発語感覚を養うことができます。
一方、会話は相手の話し方のテンポに大きく左右されるものです。こちらがゆっくり話し、相手が早口だったりすると、相手の反応が直に伝わってきて、会話のやり取りがしにくくなり、勢いその場しのぎの無理な話し方になってしまいがちです。また、文字を媒介としていませんので、自分の考えを限られた時間内でいかに相手に伝えるかにプレッシャーを感じます。朗読での安定感覚をそのまま会話に活かしていくには工夫が必要です。
その橋渡しとして、二者に分かれて会話文を読んでいく会話練習(ロールプレイ)などは大きな助けになると思います。ロールプレイ(役割演習)で実際の会話の流れに入って話す模擬体験をすることができます。
私の吃音改善の過程を振り返ると、ちょっとしたロールプレイ体験が技術的にも心理的にも大きな助けになりました。
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あれこれ(11)
ことばが短ければ短いほど、発語不安が増すものです。
何気ない会話では比較的楽に話せるものですが、伝達の要素が強くなると発語不安がでてきます。特にどうしてもこれを言わなければ全く意味をなさない、伝達できないという単語に意識が集中します。
「○○時にお集まりください」「○○さんよりお電話です」とか、名前をきかれて「○○です」の○○は、すべて他のことばに替えることのできない最重要単語(キーワード)となります。「私はバスでここに来ました」では、「バス」がキーワードです。ガソリンスタンドで、「レギュラー、満タンお願いします」では、キーワードは「レギュラー」、次に「満タン」です。
「おはようございます」の挨拶でも、朝礼での人前では「おはようございます」そのものが言い替えのできないひとまとまりの単語として意識されますので、発語不安を覚えるものです。
人とのコミュニケーションで、キーワードを意識することはとても大切なことです。「社長は5時にお帰りになります」では「5時」がキーワードですが、これをしっかり意識しないで曖昧に伝達するようでは困ります。このように誰でもキーワードを意識するものですし、意識してこそ正しい伝達ができるというわけです。
健常者はキーワードを意識しつつ、それをことばの流れの中に入れて話します。吃音者はキーワードが意識の中で強く浮き上がってしまい、そこにくるとことばの流れを止めてしまいます。
改善の方向としては、キーワードがことばの流れの中の一単語としてイメージされること。特定の単語だけの発語の場合は、いかに丸みをもたせて発語できるようになるかだと思います。
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あれこれ(12)
吃音(どもり)改善は体質改善と同じこと。
糖尿病、心臓病、脳卒中などはかつて成人病と呼ばれていましたが、今は「生活習慣病」との認識に変っています。不適切な習慣を続けるとこのような病気になる率が高くなるので、食生活・運動・休息など、健全な生活習慣の認識を持って実践していくことの重要性がうたわれています。
スピーチの障害で、「電話で始めの名前さえ楽に言えれば・・・」「朝礼で『おはようございます』が楽に言えれば・・・」「数字さえ言えれば・・・」など意識する場面は様々です。
私の経験からすると、ひとつの事柄が解決されても、新たに何か気になること(言葉)が出てきたものです。
吃音改善とは体質改善とよく似ていると思います。スピーチの体質改善を願うなら、家族などの極めて身近な人との会話の中で、「電話カウンセリング&レッスン」で練習した確実な話し方を意識し実践し続ける生活習慣を築かれて、「習い性」としていくことです。
特に家族などのごく身近な人と話す時はあまり話し方には注意を払わないものですが、この何気ない会話をいかに丁寧にしていくかが、職場や電話や人前でのスピーチの際に大きな自信を生み出すものです。
(夫婦喧嘩の最中でも話し方に注意を払えるようになれば大したものです。)
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あれこれ(13)
たかが電話、されど電話・・・・。
「電話は相手が見えないから気軽でいいい」とおっしゃる方がおられますが、これは吃音心理に悩まされている人にとっては「どうして電話が気楽なのか?信じられない!」ことなのです。
私が小学生の頃、多くの家庭に電話機が普及してきました。我が家に初めて黒い電話機が廊下に置かれ、先ず父親が手始めにそば屋に出前を頼みました。店に行くこともなく、そばが届けられたその便利さの感動は今も覚えています。しかし、私はこの電話を使う勇気はありませんでした。友達の家に電話をしたいと思っても、相手が出たらすぐに「江田です」と名前を言わなければならないし、その次に「○○くん、お願いします」を言わなければならない・・・こう考えただけで心理的に完全ストップでした。
社会人になってから吃音意識を持つようになったという方々がおられますが、そのきっかけが会社の電話であることが多いようです。職場の電話のストレスが多い理由として、
■新入社員教育での電話マナー指導。
電話対応は会社を代表することを教え込まれます。学生仲間との電話とは異なることを肌で感じ、緊張します。うまく話さなければいけない、しくじったらどうしようという不安を持ちます。
■電話呼び出しは相手がわからない。
どの呼び出し音も重要な取引先からだと思って受話器を取ります。また、その電話を他の担当者にまわさなければならない時など、短い時間で正しく伝えなければならないというプレッシャーがかかります。
■同じ事務所の同僚、上司に自分の電話が聞かれている。
これが一番の原因とも言えるほど、自分のまわりの人々の存在は心理的圧力を与えるものです。
私が新入社員の頃、事務所の人達がそれぞれ自分の電話で話している時を見計らって取引先へ電話をしたものです。ですから、余計な神経は使うし、仕事の効率は悪くなるしで、大変疲れました。
このように職場での電話では、電話の相手と、自分の周りの人々という両方からの挟み撃ちにされているような心境にさせられます。
この電話で上手く話すコツですが、ご参考までに申し上げますと、
◎ことばを出す前に、自然に声帯を震わして「エー」に近い声をだす。これはアイウエオのエとは異なり、声帯に肺からの空気が触れる時に生じることばにならない「エ」です。これで「ェー田辺さんお願いいたします。」などの工夫ができます。この自然な「エー」は電話のみならずスピーチでもとても聞きやすい発語となります。
◎出だしの音を伸ばすのも効果的です。
◎体が直立不動ではことばも硬くなります。上半身を軽く自然に動かすことも発語を助けます。
◎「はい、ABC商事の山田です・・・お世話様です・・・少々お待ちください・・・」など、一連の流れをイメージして自分で声を出して練習することもいいかも知れません。
いずれにせよ、日常生活の中で、(電話レッスンで受けた)自分の納得のいく正しい話し方を実践し続けることが、これらの方法論の土台となると受けとめています。
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あれこれ(14)
人前でのスピーチはできるのに、司会で講師の紹介など、あらかじめ定められた
内容を伝えたりするのは難しいと感じる訳。
発語不安を持ちながらも人前でそれなりに上手く話せるのに、あらかじめ定められた伝達内容を話すことに難しさを感じる理由は、ことばの言い換えが出来ないことにあるようです。
例えば、結婚式などでのスピーチでは緊張するものの、自分の言いやすいことばで話すことができます。しかし、仲人として新郎・新婦の略歴紹介をするとなりますと、経歴などは言い換えが出来ませんので、吃音意識を持った方にとってはとても言い難くなるものです。
話をする自信をつけていくためには、先ず話をすべて文章化して、固有名詞など確実に頭に入れて実際に口に出してみることをお勧めします。練習通りに上手くいかないこともありますが、予め決まっている内容は事前のお話し練習は必要と思います。
言い換えは対応術であって、それ自体決して悪いものではありませんが、言い換えをしながら1000のことばを話すより、言い換えをしないで10のことばを話す方がはるかに話す自信がつくものです。
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あれこれ(15)
一人だけで話す時(ひとり言)でも特定の音がつかえて言えないという人もおられます。
吃音は自分の話を他人が聞いているという外的刺激の反応によって生じ、喉、舌の力みや、横隔膜の緊縮による呼吸の乱れが引き起こされ、発語が不安定になります。
しかし、ペット(動物)などに話しかける時などの外的刺激(反応)がない状況では、ほとんどの場合ひっかかりなく話せるものです。吃音意識をお持ちの方の多くはこれに該当すると思います。
しかし、全く一人(ひとり言)であっても発語できないという場合もあります。
たとえば、「田村」という姓を長年無理に発語していると、脳の言語神経が舌の力みと完全にリンクしてしまい、舌全体が上あごにべったりついてしまう力んだ「タ」しか発音できなくなってしまいます。これは吃音意識を引き金とした長年に渡る無理な発語の結果、本来の柔らかな発音ができなくなってしまう例です。
発語できなくなる音としては、「タ」「ダ」「ナ」「たった」などのつまり音などが挙げられます。
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あれこれ(16)
吃音(どもり)の囚われ意識から抜け出しにくい理由。
幼児期に吃音症状が表れ、成人する頃には殆どことばのつまりがない場合でも、仕事での業務連絡など、正確に話すことが要求される立場に立たされますと、再び吃音意識が浮上してくる場合が多々あります。このような時は、発語不安を除こうとすればする程、逆に意識に入ってことばが硬くなり言い難くなってしまうものです。
吃音の改善が我流では容易でない理由のいくつかとして次のことが挙げられると思います。
1.本来の正しい話し方がどういうものであるのかがわからない。
ひとたび吃音意識に入ったら、適切な正しい話し方で話す意識付けが必要なのですが、私達は通常、幼児期からことばを耳から聞いて自分なりに話すことを学習しているので、腹式呼吸を基本とした息継ぎなどを適用していく具体的な方法などはわからないものです。
多くの場合、「言えるか、言えないか」という心理的駆け引きの世界で無駄にエネルギーを消費するだけで、実際にどのような話し方の意識をもっていけばよいのかがわからないまま無理な発語を重ねてしまうことになります。
2.発語不安の感情が忌まわしいものだと受けとめてしまうこと。
一度ことばのひっかかりを経験すると、また言えないのではないかという不安感情が出てきます。言いたくても言葉を出せないことはとても恐ろしく不安な経験であり、これを一度経験すると、「また言えなくなるのではないか・・・」という不安は折々の場面で浮上してきます。
吃音改善のプロセスで大切なことは、不安感情が出てこないようにするのではなくて、不安感情の中でも自分の言うべきことばを話すことのできるコントロール領域を広げていくことです。発語をコントロールできるようになっていれば、発語の不安感情が残ったままでも全く問題はないのです。
発語不安はあってはならないと考え、それをかき消そうという努力は、逆に吃音意識に陥れてしまい、焦りと神経症的傾向を深めることになってしまうものです。
「電話カウンセリング&レッスン」では正しい話し方の習慣付けと、発語不安感情の中でのお話し経験を重視しています。
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あれこれ(17)
発語不安があっても話し上手になれるものです。
吃音経験者であれば誰でもお分かりの通り、発語不安を抱えた心境は実にイヤなものです。「発語不安なく自由に話せたらなぁー」「吃音が治ると不安なくどんな場合にも自由に話すことができるのだろうなぁー」と思います。
確かに吃音改善の最終レベルは、どのような場合でも発語不安なく話せるようになることでしょうが、大切なのはその過程です。
私の吃音改善のたどった道を振り返りますと、発語不安の感情が場合によって浮き出てくるものの、実際にはことばがひっかかることなく、ほぼ100%コントロールして話していた時期が5年間ほどありました。発語不安感情が湧き出るままにさせておいて、ただ正しい話し方の習慣を身に付けていくことに意識を向けていったことが良い結果をもたらしたと思っています。ちなみに現在の私は、発語不安は記憶としてあるのみで実際に浮き出てくることはありません。(私が今も発語不安を抱えていたら、吃音改善の指導をさせていただく資格は当然ながらないでしょう。)
発語不安をかき消そうとしたり、不安感情が湧き出た時「ああ、まだ吃音は治っていないのだ。いつになったらこのイヤな思いが起こらなくなるのだろうか」と嘆いておられるならば、それは吃音改善の過程での陥りやすい間違った受けとめ方をしていると思います。
犬に噛まれた経験を持ちますと、犬がしっぽを振って近づいてくるだけで思わず身構えるものです。噛まないとわかっていても、過去の経験が体に警戒心を起こさせるからです。同様に、言いたくてもことばが出てこなかったという不安・恐怖体験を長年重ねているのですから、そう簡単に電話応対や人前での発表などの場面での発語不安を拭い去れるものではありません。
発語不安のある中で、話し方をコントロールできていれば事実上、吃音は治っていると言えます。
「私は吃音者だ。だから話し方に注意していないとついどもってしまう」というように受けとめている人は、実際にはとても上手くお話をなさるものです。まさに一病息災です。
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あれこれ(18)
意識する音をはっきり言おうとすることは、ますます硬い発語にしてしまいます。
ことばは音の流れです。普通に話す時は、ひらがな一字一字を意識しているわけではありません。
ところが何かある音が意識されると、その音をはっきり言おうとする傾向があります。例えば「〜させていただきます。」の「い」を意識するようになると、相手に「いただき」がはっきりわかるように「い」を強調して言おうとするものです。
意識する音は前の音につなげて、軽く流していくようにしたいものです。
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あれこれ(19)
安定した話し方習慣の極意。
安定した話し方習慣をいかに身につけていくか・・・これが電話レッスン指導での要(かなめ)の部分です。
例えば、「日常会話では全くつまらないのですが、電話での名前だけがつまるのです」とおっしゃる方の場合、日常会話で特に次のような意識の持ち方を習得していただきたいです。
それは、話をしている自分(運転席でハンドルをとっている自分)と話し方を観ている自分(助手席で運転の仕方を観ているもうひとりの自分)のふたりが心の中で対話をする状態を意図的に作っていくことです。
リラックスして調子よく話せる時こそ、助手席のもうひとりの自分が「ちょっとスピードを緩めて・・」「間を入れたほうがいいよ」とか「語尾を伸ばした方が安定するぞ」などと声をかけるように意識します。
この意識化は安定した話し方を意識させるものですので、話すことに神経質になるということにはなりません。
この日常の意識習慣が培われてくると、電話やスピーチなど、発語を意識せざるを得ない場面に臨む時、今までの心の対話の延長として対応できる幅がついてくると思います。
反対に、日常での話し方の意識化が出来ていないと、発語不安が浮き出てくる途端、リズムを狂わせてしまうものです。
家族や友人などとのリラックスした場での会話で、心の中で安定した話し方を意識化していく習慣作り・・・。これが安定した話し方につながる極意だと思います。
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あれこれ(20) 
「完全主義」「自己評価主義」はゴミ箱に捨てましょう。
人前では絶対ひっかかってはいけない、自分の吃音を人に気づかれてはいけない、いつも流れるように話さなければならない・・・など、理想とする完全な話し方を求めると、完全主義の落とし穴にストンと落ちてしまいます。
そもそも誰でもことばが絡まったり、時には「そ、そ、そうですか?」などと連発することがあるものです。テレビキャスターがあわただしい取材の現場でひどく詰まって話すこともあります。少々つかえることは恥ずかしいことでも何でもありません。
お話し完全主義は自分の弱み(吃音のこだわり)を他人に知らせてはならないという、自己防衛意識の表れのひとつともいえましょう。
自己評価主義とは、あの時の電話での話し方がどうだったとか、自分の話し方を自己評価することで、いつまでも自分の話し方を意識に引きずります。良いと思われることは殆ど意識に残さないで、朝の一回の電話が思うようにいかなかった時など、自分でダメ評価をつけ、その気持ちを一日引きずってしまいます。
自己評価は自分の理想とする願望を尺度として測りますので、たいていは自己基準に到達していない自分に低い評価を出し、結果として話すことへのこだわりが助長されてしまうものです。
「完全主義」「自己評価主義」はゴミ箱に捨てて、少々のかすり傷はものともせず、人と話す機会をとらえていくおおらかさが一番です。
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(随時追加)
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